手続きが苦手で意識してしまう。

僕は手続きが嫌いだ。入学、入会、入寮、入社。どうであれ、一歩踏み出してしまうことでなんとか心の安定が保てている今の生活が壊されるのが本当に嫌いだ。弱い人間だから、環境の変化にすぐやられてしまう。

 

手続きというものは、僕のような心の弱い人間にとっては段階的に立ちはだかる壁になる。書き進めている内に、この書類を1枚書き終えてしまうごとに一歩ずつ近づいてくる新しい環境に染まらなくてはいけない恐怖、つらいことに自ら立ち向かわなければならなくなる悲観がたまらなく恐ろしい。

 

なぜ辛いことに自分から立ち向かわなくてはならないのか?そこまでして自分を陥れなければ生きていけないのか?入社の面接のときに辛いことがあってもやっていけるか念押しされるだけで面接をしてる最中でもかなり嫌になる。はい、私には耐えられませんので帰らせていただきますと言いたくなる。

 

社会に出るということはなぜ辛いことなのか、みんなが辛いことはいやで、心を痛めつけられたくないと思っているのになぜこの社会は所属するものにきつく辛いまま変わることがないのか。僕が知っている社会が偏見に満ちたものだからだろうか?

 

辛いと分かっている社会に出て会社に所属することの覚悟を問われて、なぜ今社会に出ている人々は普通に働けているのか、なぜ同期はそんな恐怖に立ち向かい、内定を勝ち取ることに喜びを感じているのか。弱い僕にはわからない、みんなが自分とは違うとてつもなく強い生き物に見える。

 

社会に出るのが怖い。でも人は生きるうえでそれを当たり前にそれをこなさなくてはいけなくて、ストレスと圧力に擦切られた人としての残りカスを人は人生と呼ぶみたいだ。僕にはこれからさき、その人生に則ることはできるのだろうか。

 

あとがき

今回は入社手続きを行うことで、社会に出る恐怖に一歩一歩近づく怖さを感じる僕の思いを執筆いたしました。僕は本当に弱い人間で忍耐力がありません。そして辛いこととか疑問不満を自分の中でため込む典型的な報連相のうち相談のできない社会不適合者です。

 

でも冷静に考えて、自分のようにやりたいことが明確でない人が社会に出るということは、実はすごく勇者的な行動なのではないかと思っています。だって、オフィスワークをすれば毎日怒られたり、接客業なら色々な性格のお客さんと向き合うことになるんですよ?すごく怖くないですか?

 

でも結局のところ、嫌われない人はいないし、怒られない人もいない。人間はそうやって生きていくしかなくて、社会に生きる生物として弱さに鈍感になるしか人は生きられないのです。がんばりたいです。