何でもできるから何にもなれない人。

「やればなんでもそこそこにできるせいで、何者にもなれずに苦しんでいる人は、少なからず私の周りには多くいて、そう考えると私は幸せなのかもしれない。」

 

僕の好きな作家がそんなことを言っていた。この言葉を見たときに、あぁ、僕も彼の言う「何者にもなれない人」なのだと思った。

 

正直僕は勉強に置いてはある程度まんべんなくできた。学生のときの成績表は5段階評価で4.2、テストにおいては、毎回90点以上を取れる科目があるわけではないが、平均的にどの科目70~80点はとれるような生徒であった。

 

こういう生徒に限って、教師からは勉強面において放任され、同級生からは勉強で苦しんでいることを理解してもらえなかったりする。サンプルケースは僕だけだから、あまり断定した口調で語るべきでないのかもしれないけれど。

 

僕が不幸だったのは、大抵まんべんなくできる上に、結構真逆ともいえる多方面への方向性に興味があったことだ。大学を選ぶ際は、工学部か文学部で迷った。さらに言えば選択肢として美大も可能性を考えていた。すべて興味があることであり、また学力で選択肢を絞ることはできなかったのだ。

 

最終的な選択で工学部を選んだのだが、結果的に言えば僕は勉強に挫折して失敗した。つまり今までの傲慢な選択肢は、勉強ができているように見える錯覚によるフィルターで、傲慢でしかなかったのだ。

 

何でもできる、ただ選択すればいいだけだと思っていた僕は、勉強ができないうえに何者でもなかったのだ。

あとがき

今回は僕の勉強のお話です。高校のとき、自称進学校定期テストでは高水準でいたため結構自由に生きてました。でも、結局は、今勉強ができるできないじゃなくて、何がやりたいかを明確に持っている人に成果がついてくるものだと今更わかりました。

 

とは言いましたが今受験生で将来に向かって勉強をしている人は、わけがわからなくても勉強していた方が良いと思います。大学を受験するまでに目標が持てていれば重畳であると思います。